brightwayの誕生ストーリー
brightwayを作る私たち株式会社インターナショナルシューズは1954年、大阪浪速区で誕生しました。
創業者はbrightwayのFouderである上田誠一郎の祖父である上田義一。
妻とふたりの小さな工房から私たちの靴作りは始まりました。
創業から受け継がれる精神
創業依頼ずっと受け継がれれている哲学。
それは「もっといい靴をつくろう」という言葉です。
靴作りにおいて大切なこと、それは
「目に見えない細部にまで丁寧に、誠実につくること」
上田義一が大切にしてきた思想でした。
創業から約60年間、ハイヒールパンプスをはじめとする婦人靴を1足1足丁寧に作り続けてきました。
徐々にその靴づくりは評判を呼び、国内外のハイエンドな靴ブランドのOEM製造を手掛けるようになってきました。
存続の危機から自社ブランドへの挑戦
brightway誕生のきっかけは工場創業家3代目である上田誠一郎が入社したことでした。
2015年、靴ブランドの販売員のキャリアを経て家業に戻った彼を待っていたのは婦人靴業界の不振と業界の縮小でした。
入社して間もなく、メインクライアントとの取引が無くなり靴づくりができない毎日が続きました。
その時、「本当に自分たちが届けたい靴は何だろうか」
悩み、考え抜き、辿り着いたのが、自分たちが世界で一番のお客様になれる靴でした。
(写真左が上田誠一郎。工場創業者の義一氏と)
ハイヒール工場がメンズスニーカーを開発。ゼロからものづくりへの挑戦
brightwayのデザインが生まれたきっかけは、上田誠一郎が当時シンプルでビジネスシーンにも履ける上質なレザースニーカーを世界中を探して見つからなかったことでした。
「これを作れば世界で自分が一番のお客様になれる」
その想いのもと、創業以来、初のメンズアイテム、そしてレザースニーカーの開発が始まりました。
失敗の連続、痛感した開発の高い壁
開発を始めてからは失敗、試行錯誤の連続でした。
実は靴業界の生産背景は複雑多岐で、メンズとレディースで産業が分かれ、更にアイテムによっても工場が分かれています
またスニーカーは婦人靴と開発プロセスや製造方法が大きく異なり、パーツも異なるため当時は誰も婦人靴からメンズを作る工場はありませんでした。
そんな中で、まず行ったのは世界中のスニーカーを買い集め分解、研究を重ねることでした。
休日には靴の学校に通い紳士靴、スニーカーの作り方を勉強しては平日の夜に研究を行う開発の日が続きました。
世界一欲しい1足を。諦めなかった想い。
何度も失敗し、試作した靴は山のように。
それでも諦めなかった理由。
それは「このスニーカーは絶対に多くの人に喜んでもらえる、世界一のスニーカーになれるはず。」
そう信じていたからでした。
何度も試行錯誤を重ねた暁に、ついにbrightwayのファーストモデル「Giichi」が完成しました。
このファーストモデルにはファクトリーの創業者である上田義一へリスペクトを込めて名付けられました。
創業以来初めて見た、お客様の喜ぶ姿
そして2020年、brightwayは当時クラウドファンディングサイトと呼ばれていたMakuakeからブランドデビューを果たしました。
初めて見るbrightwayを多くのお客様が購入をしてくださりました。
創業以来、初めて自分たちの名前で商品が社会に羽ばたいた瞬間でした。
これまでブランドの黒子の存在として、お客様を直接見ることができなかった私たちが初めてお客様と繋がることができた瞬間でした。
社名に込められた想い、世界へ羽ばたくブランドへ
私たちの夢、それは工場創業者が思い描いた
インターナショナルシューズという社名に込められた「いつか自分たちの作った靴が世界中のお客様に喜んでいただき、暮らしを豊かにすること」です。
創業以来守ってきた「誠実に作り、長く愛用いただける1足をつくる」想いを大切に
これからもみなさまに喜んでいただける最高の1足を作っていきます。
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